現代は、先の見通しがつきにくい時代だとよく言われます。数年先、いえ、一年先ですらどうなっているか分からない。そんな漠然とした不安が、心の隅にいつも居座っているような感覚をお持ちの方も少なくないのではないでしょうか。
実は、そうした不安な心にそっと寄り添い、少しだけ軽くしてくれる仏教の智慧があります。それが「諸行無常」という教えです。今回は、この「諸行無常」という考え方を、現代を生きる私たちの悩みに引き寄せながら、少しお話しさせていただこうと思います。
なぜ私たちは将来に不安を感じるのでしょうか?
なぜ、私たちはこれほどまでに将来のことを思い、不安になってしまうのでしょうか。
一つには、現代社会の変化の速さがあるでしょう。情報が溢れ、価値観は多様化し、昨日までの常識が今日にはもう通用しない。そんな目まぐるしい日々の中では、「このままで大丈夫だろうか」という気持ちが芽生えるのも自然なことです。
そしてもう一つ、私たちの心には、本能的に「安定」を求める働きがあるように感じます。変わらないもの、確かなものに拠り所を求め、それを失うことを恐れる。しかし、現実はどうでしょうか。仕事も、人間関係も、自分自身の心や体でさえ、完全にコントロールし、永続させることはできません。
この「コントロールできない未来」をどうにかしようと執着すること、変わらないでほしいと願う心こそが、かえって不安や苦しみを生み出す大きな原因になっているのかもしれません。
心を軽くする仏教の智慧「諸行無常」とは
そこで、仏教の「諸行無常」という教えが、私たちの心を解きほぐすヒントになります。 「諸行無常」とは、とても簡単に言えば、「この世のあらゆるものは、常に変化し続けており、同じ状態に留まることはない」という真理を説いた言葉です。
これは決して難しい話ではありません。 例えば、庭の木々を見れば、春に芽吹き、夏に青々と茂り、秋には色づいて、冬には葉を落とす。一年として同じ姿はありません。私たちの身体も、生まれた瞬間から少しずつ変化し続けています。昨日と今日とでは、厳密には同じ私ではないのです。
友人との関係、社会の仕組み、流行りの音楽。すべてが留まることなく移ろいゆく。これが、この世界の自然な姿なのです。
この「諸行無常」という言葉を聞くと、どこか寂しさや虚しさを感じる方もいるかもしれません。「どうせ全ては消えてなくなるのか」と。しかし、仏教ではこれをネガティブなものとして捉えません。むしろ、変化するからこそ、そこに美しさや輝きが生まれる、と考えるのです。
変化は、抗うべき敵ではなく、受け入れるべき自然の摂理。そう捉え直すことで、心が少し楽になるのを感じませんか。
「諸行無常」を現代の不安に活かす3つのヒント
では、この「諸行無常」の教えを、日々の不安と向き合うためにどう活かせばよいのでしょうか。三つのヒントをご紹介します。
- 変化を「受け入れる」 まず大切なのは、変化を無理に拒むのではなく、大きな川の流れに身を任せるように「受け入れる」ことです。将来の計画を立てることは無意味ではありませんが、計画通りに進まないことの方が多いのが人生です。予期せぬ変化が起きたとき、「なぜだ」「こんなはずでは」と嘆き抵抗するのではなく、「なるほど、そう来たか」と一度受け止めてみる。それだけで、心の負担は大きく減ります。失うことへの恐れも同じです。全ては移りゆくものだと思えば、何かを失ったとしても、それは自然な流れの一部であり、また新たな何かが生まれる兆しなのだと捉えることができます。
- 「今、この瞬間」に意識を向ける 私たちの心は、過去の後悔と未来への不安との間を行ったり来たりしがちです。しかし、私たちが実際に生きることができるのは、「今、この瞬間」だけです。禅の世界では「脚下照顧」という言葉がありますが、これは「足元をよく見なさい」、つまり、遠い未来や過去ではなく、今自分のいる場所、やるべきことに集中しなさい、という教えです。 例えば、食事をするときは、スマホを見ずに、食べ物の色や形、香り、歯ごたえをじっくりと味わってみる。お子さんと話すときは、その子の表情や声色に全身で耳を傾けてみる。目の前のことに丁寧に向き合う時間を持つことで、心は不思議と落ち着き、不安が入り込む隙がなくなっていきます。
- 「こうあるべき」という執着を手放す 「男だからこうあるべき」「父親なのだからこうしなくては」といった固定観念は、時として自分自身をがんじがらめにします。これもまた、一種の執着です。世の中が変化していくように、理想の姿や価値観もまた変化していくのが自然です。自分の中の「こうあるべき」という硬い殻を少しだけ緩めて、「まあ、こんな生き方もありか」「完璧でなくてもいいじゃないか」と、自分にも他者にも、しなやかで柔軟な心を持つこと。それが、変化の時代を軽やかに生きるコツではないでしょうか。
住職として、父として思うこと
娘たちの成長を見ていると、まさに「諸行無常」を日々実感させられます。昨日までできなかったことができるようになり、考え方や興味の対象もどんどん変わっていく。その姿は、頼もしくもあり、少しだけ寂しくもあります。
しかし、もし娘たちが全く変わらず、赤ちゃんのままだったとしたら、それはそれで不安になるでしょう。変化し、成長していくからこそ、その一瞬一瞬が愛おしく、かけがえのない宝物なのだと感じます。
もちろん、住職であり父親である私とて、将来への不安が全くないわけではありません。娘たちの未来を思い、案じることもあります。ただ、「諸行無常」の教えを知っていると、その不安との付き合い方が変わってくるのです。「未来は誰にも分からない。だからこそ、今この子たちと過ごす時間を、目の前の務めを、ただ大切にしよう」と。そう思うことで、心がふっと軽くなるのを感じます。
まとめ
先の見えない未来に不安を感じるのは、あなただけではありません。多くの人が同じように、寄る辺ない心細さを抱えながら生きています。
そんなとき、仏教の「諸行無常」という智慧を、心の片隅に置いてみてください。
・すべてのものは、変わり続けるのが自然な姿であること。
・変化に抗うのではなく、受け入れ、波に乗るように生きてみること。
・未来や過去ではなく、「今、この瞬間」を大切に味わうこと。
この教えが、あなたの心を縛る重い荷物を少しでも下ろし、日々をより穏やかに、そして豊かに生きるための助けとなれば、これほど嬉しいことはありません。
あなたの心が、少しでも晴れやかになることを、心より願っております。


