「タダ」という言葉の重み。見えない価値を敬う心とは

パソコン作業する女性 デジタル
この記事は約6分で読めます。
記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

お寺の住職として、日々様々な方々とのご縁をいただいております。檀家だんかさんのお悩み事に耳を傾けたり、子どもたちと笑い合ったり。そうした繋がりの中で、人の温かさに触れる毎日です。しかし、そんな穏やかな日々の中にも、時折「うーむ」と考え込んでしまうような出来事と出会うことがあります。

それは、私が個人的に持っているパソコンのスキルなどに対して、「ちょっとこれ、お願いできないかな?」とお声がけいただく瞬間です。その言葉の奥に、「もちろん、タダで」という前提が透けて見える時、私の心にさざ波が立つのを感じます。

もちろん、日頃お世話になっている方々のお力になりたいという気持ちに嘘はありません。ですが、そのご依頼の裏側で、私がその技術を身につけるために費やしてきた多くの時間や努力が、まるで存在しないかのように扱われているような、一抹の寂しさを覚えてしまうのです。おそらく、これは私に限ったことではなく、何らかの専門的な技術をお持ちの方であれば、一度は似たような経験をされているのではないでしょうか。

一朝一夕いっちょういっせきにあらず。専門スキルが磨かれるまでの「見えない時間」

世の中には、本当に多種多様な専門職が存在します。医師、弁護士、料理人、大工、そしてWebデザイナーやプログラマー。私が務めさせていただいている僧侶という仕事もまた、その一つと言えるでしょう。傍から見れば、熟練した者が「すいすい」とこなしているように見える作業も、その裏側には、決して人には見えない、長く険しい道のりが隠されています。

私自身のことで恐縮ですが、僧侶として皆様の前に立つまでには、何年にもわたる修行と研鑽の日々がありました。膨大な経典を読み解き、仏様の教えを心と身体に染み込ませる。ただお経を読むにしても、その言葉一つひとつの意味を深く理解し、聞き手の心に届くような声の出し方、息継ぎ、抑揚を身につけるためには、気の遠くなるような反復練習が必要です。法話で皆様にお話しする内容も、ただ知識を並べるのではなく、どうすれば日々の暮らしに活かせる知恵としてお伝えできるか、毎晩のように頭を悩ませています。これらは決して、数日で身につくようなものではありません。

これは、デジタルな世界でも全く同じことでしょう。美しいホームページを創り出すデザイナーは、色彩理論やレイアウトの基礎を徹底的に学び、使いやすいデザインとは何かを常に追求しています。複雑なプログラムを組むエンジニアは、難解な言語を習得し、数えきれないほどの失敗と修正を繰り返しながら、一つのシステムを完成させているはずです。その「見えない時間」の積み重ねこそが、プロフェッショナルの仕事に深みと価値を与えているのです。

「プロだから早い」の真実。効率は経験と研鑽の賜物

「プロなんだから、ちゃちゃっとできるでしょう?」

この言葉には、相手の技術に対するある種の信頼や期待が込められているのかもしれません。しかし、その「ちゃちゃっと」という言葉が、時として専門性の価値を見えにくくしてしまうことがあります。

プロが素人よりも圧倒的に速く、そして質の高い仕事ができるのは、決して魔法を使っているからではありません。それは、これまでの経験で得た膨大な知識の「引き出し」の中から、目の前の課題に対して最も的確な解決策を瞬時に選び出し、それを実現するための最短ルートを知っているからです。素人が何日も迷い、試行錯誤を繰り返す道を、プロは確信を持って進むことができる。その速さや効率性こそが、長年の経験によって培われた専門性の証なのです。

例えば、ホームページ制作を考えてみましょう。ただ形を作るだけなら、今は誰でも簡単にできるかもしれません。しかし、プロの仕事はそこからが違います。訪問者が迷わないような設計、企業の想いが伝わるデザイン、そして検索エンジンで多くの人に見つけてもらうための工夫。これら全てを考慮し、お客様の「目的を達成する」ための価値を創造すること。それがプロの仕事です。その対価として料金をいただくのは、ごく自然なことだと私は思います。それは単なる作業時間に対するものではなく、その仕事がもたらす未来への価値、そのものへの対価なのです。

「減るものではない」という誤解が奪っていくもの

「技術なんだから、別に減るもんじゃないだろう」

そうおっしゃる方もいます。確かに、知識や技術が物理的に消費されるわけではありません。しかし、一つの仕事にプロが向き合う時、そこでは確実に「有限なもの」が使われています。それは、時間、労力、そして創造のための精神的なエネルギーです。

私たち一人ひとりに与えられた一日は、二十四時間しかありません。無償のご依頼をお受けするということは、本来であれば他の有償の仕事に充てるべき時間や、自身のスキルをさらに磨くための学習時間、そして大切な家族と過ごす時間を削ることにも繋がります。

何より、プロフェッショナルは、その専門性を糧として日々の暮らしを立てています。彼らにとってスキルとは、生活を支えるための大切な資本です。その資本を無償で提供することが当たり前とされる風潮が広がれば、専門家たちは疲弊し、その技術を次世代に繋いでいく気力さえ失ってしまうかもしれません。それは長い目で見れば、社会全体にとっての大きな損失となるのではないでしょうか。

感謝が巡る社会へ。専門性を尊重し、支え合うということ

私たちの社会は、実に多くの専門家たちの働きによって支えられています。病になれば医師を頼り、お腹が空けば農家の方々が作った作物をいただく。まさに「持ちつ持れつ」の関係性で成り立っています。

互いの専門性を認め、その働きに敬意を払い、感謝の気持ちを込めて適正な対価を支払う。この健全な循環こそが、社会をより豊かにしていくと私は信じています。

サービスを提供する側は、自身の仕事に誇りを持ち、その価値をきちんと伝える努力をする。そして、サービスを受ける側は、その技術が生み出す価値を正しく理解し、「ありがとう」という気持ちを対価という形で表す。そうした信頼関係の上に築かれるやり取りは、単なる商取引を超えて、人と人との温かい繋がりを育む土壌となるはずです。

心の豊かさとは、互いを敬う心から生まれる

私たちはつい、目に見えるものや、形あるものだけに価値があると考えがちです。しかし、本当に豊かな社会とは、互いの「見えない時間」や「見えない努力」を想像し、尊重し合える「心の豊かさ」に満ちた社会ではないでしょうか。

専門スキルを持つ人々が、その働きを正当に評価され、安心して未来へ向かって精進できる。そして、その結果として生まれた素晴らしい仕事が、私たちの暮らしをより良くしていく。

もし今度、あなたが誰かに何かを依頼する機会があったなら、その方がその技術を身につけるまでに歩んできた道のりに、少しだけ思いを馳せてみてください。きっとそこには、新たな敬意と感謝の気持ちが芽生え、より素晴らしい関係を築くきっかけが隠されているはずです。

私もまた、僧侶という専門性を預かる者として、皆様の心の平安に寄与できるよう、日々の精進を続けてまいります。

タイトルとURLをコピーしました