私は地方の小さなお寺で住職を務めております。子育てに奮闘しながら、日々お寺の護持に努めております。
さて、突然ですが、皆さんは「お寺」や「お坊さん」と聞いて、どのようなイメージをお持ちでしょうか。「お葬式や法事でお経をあげてくれる人」「なんだかありがたい存在」といったご意見と共に、少し穿った見方として「坊主丸儲け」なんて言葉を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。立派な本堂があって、檀家さんからのお布施で安泰。そんなイメージが、世間には根強く残っているように感じます。
しかし、そのイメージは、もはや過去の物語となりつつあります。実は今、日本の多くのお寺が、存続そのものが危ぶまれるほどの深刻な危機に直面しているのです。今回は、普段あまり語られることのない、現代のお寺が置かれた厳しい現実について、私の立場から少しお話しさせていただきたいと思います。
なぜ「坊主丸儲け」というイメージが生まれたのか?
そもそも、なぜ「お寺は儲かる」というイメージが定着したのでしょうか。それは、かつてお寺が社会において果たしてきた役割と深く関係しています。
江戸時代に確立された檀家制度により、人々は必ずどこかのお寺に所属することになっていました。お寺は、現代でいう市役所のように、人々の戸籍を管理する役割を担っていたのです。つまり、地域住民にとってお寺は、暮らしに不可欠なインフラの一つでした。人々は生まれればそのお寺の檀家となり、結婚や葬儀など、人生のあらゆる節目でお寺と関わりを持ちました。
地域コミュニティの中心でもあり、子どもたちの学びの場である寺子屋が開かれることもありました。このように、お寺は人々の生活と信仰に深く根ざし、檀家からの護持会費やお布施によって、安定した経済的基盤が成り立っていたのです。この時代の記憶が、「お寺は安泰である」というイメージの源流となっているのでしょう。
現代のお寺が直面する厳しい現実
しかし、時代は大きく変わりました。かつての安定は、今や見る影もありません。現代のお寺は、いくつもの深刻な課題を抱えています。
1. 檀家制度の形骸化と経済的な困窮
まず最も大きな問題が、檀家制度の形骸化です。核家族化が進み、人々が生まれた土地を離れて都市部で生活するようになると、「家」とお寺の結びつきは急速に弱まりました。先祖代々のお墓を守る意識も希薄になり、檀家を離れる方も少なくありません。
檀家さんの数が減れば、当然お寺の収入も減少します。皆さまからお預かりするお布施や護持会費は、決して住職個人の懐に入るわけではありません。本堂や庫裏といった建物の維持管理費、境内地の整備、さらには光熱費など、お寺を維持するためには想像以上の経費がかかるのです。特に、歴史ある建物は修繕にも多額の費用が必要となります。
収入の減少と嵩む経費。この板挟みの中で、多くのお寺は経済的に非常に厳しい状況に置かれています。そのため、私のように住職の仕事だけでは生計が立てられず、副業として他の仕事を持つ「兼業僧侶」が今や珍しくないのです。
2. 深刻な後継者不足
経済的な不安定さは、次の世代への継承という、さらに深刻な問題を生み出します。お寺の子どもが、必ずしもお寺を継ぐとは限りません。経済的な苦労を間近で見ているからこそ、「自分は違う道に進みたい」と考えるのは、ある意味自然なことかもしれません。
跡を継ぐ者が見つからなければ、そのお寺は「無住寺院」、つまり住職のいないお寺となってしまいます。管理する人がいなくなれば、お寺は少しずつ荒れ果てていき、いずれは取り壊されたり、宗教法人格を解散したりする道をたどることになります。
全国各地で無住寺院は増加の一途をたどっており、これは単に一つのお寺がなくなるという話ではありません。地域の歴史や文化を伝え、人々の心の拠り所となってきた場所が、一つ、また一つと消えていくことを意味しているのです。
3. 社会からの期待と役割の変化
人々の価値観が多様化する中で、お寺に求められる役割も変化しています。かつてのように、ただ檀家さんのためだけに存在するお寺では、社会から孤立してしまいます。
一方で、ストレスの多い現代社会において、お寺を「心静かに自分と向き合う場所」や「新たな人との繋がりが生まれるコミュニティの場」として期待する声も高まっています。しかし、長年の伝統や慣習の中で、その新しい期待にどう応えていけばよいのか、多くのお寺が模索しているのが現状です。
危機を乗り越えるために。未来へつなぐお寺の挑戦
このような厳しい状況ですが、私たちはただ手をこまねいているわけではありません。多くのお寺が、未来へバトンをつなぐために、様々な挑戦を始めています。
- 新しい形での情報発信 ホームページやSNSを活用し、お寺の日常や行事の様子、仏教の教えなどを積極的に発信するお寺が増えました。まずは、お寺を身近に感じてもらうことが第一歩です。
- 門戸を開き、地域に開かれたお寺へ 宗派や信仰に関わらず、誰もが気軽に立ち寄れる場所を目指す取り組みも広がっています。座禅会や写経会はもちろん、ヨガ教室や音楽コンサート、子ども向けの寺子屋など、様々なイベントを通じて地域住民との新たなご縁を結ぼうとしています。
- 「依り所」としての普遍的な価値 そして何より大切なのは、時代がどう変わろうとも、お寺が「人々の心の依り所」であり続けることです。悩みを抱えた時、誰かに話を聞いてほしい時、そっと手を合わせに訪れることができる。そんな駆け込み寺としての役割こそ、お寺が持つべき普遍的な価値だと私は信じています。
まとめ
「坊主丸儲け」という言葉が持つイメージとは裏腹に、現代のお寺は、その存続をかけて必死に時代と向き合っています。お寺は、単なる宗教施設ではありません。その土地の歴史を刻み、文化を育み、人々の祈りを受け止めてきた、かけがえのない場所です。
この記事を読んでくださった皆さまが、少しでもお寺の現状に関心を持ってくだされば、これほど嬉しいことはありません。もし、お近くにお寺があれば、次の休日にでも散歩がてら立ち寄ってみてはいかがでしょうか。そこにはきっと、日々の喧騒を忘れさせてくれる、穏やかな時間が流れているはずです。


