テレビの画面越しに映し出される、大きな災害の爪痕。家屋が倒壊し、慣れ親しんだ街並みが一変してしまった光景を目の当たりにするたび、胸が締め付けられるような思いがいたします。そして同時に、「自分には何もできないのだろうか」という、一種の無力感に苛まれる方も少なくないのではないでしょうか。
私はお寺の住職という立場にありますが、そのような思いは皆さまと何ら変わりません。ただ、仏様の教えの中に、こうした状況で私たちがどう向き合い、どう行動すればよいのかを示唆する、一つの道しるべがあるように感じています。それは、決して特別なことではなく、誰もが実践できる「布施」という行いです。本日は、災害ボランティアという具体的な活動を通して、仏教が示す支援の形について、少しお話しさせていただきたく存じます。
災害ボランティアのイメージと現実
「災害ボランティア」と聞くと、どのような光景を思い浮かべるでしょうか。多くの方は、ヘルメットを被り、汗だくになりながら瓦礫を撤去したり、土砂をかき出したりする、体力勝負の活動をイメージされるかもしれません。もちろん、そうした力仕事は復旧・復興に欠かせない、大変尊い活動です。
しかし、災害ボランティアの活動はそれだけではありません。避難所で温かい食事を準備する「炊き出し」、全国から寄せられた支援物資を種類ごとに仕分ける作業、被災された方々の言葉に静かに耳を傾ける「傾聴ボランティア」。さらには、子どもたちの遊び相手になったり、学習支援をしたりすることも、立派なボランティア活動です。
また、様々な事情で現地に赴くことができない場合でも、私たちにできることはたくさんあります。信頼できる団体を通じて寄付を行うこと、現地の正確な情報をSNSなどで広めること(ただし、情報の取捨選択は慎重に行う必要があります)、あるいは、被災地の産品を購入して応援することも、間接的ながら重要な支援の形と言えるでしょう。
仏教の教え「布施」とは
さて、ここで仏教の「布施」という言葉について触れたいと思います。布施とは、他者に施しを与える行いのことで、仏道修行における重要な徳目の一つです。
このようにお話しすると、「お布施」という言葉から、金銭や物品を施すこと、すなわち「財施」を連想される方がほとんどでしょう。確かにそれも布施の重要な形の一つです。しかし、仏教では、たとえ財産がなくとも実践できる、素晴らしい布施があると説いています。それが「無財の七施」と呼ばれる教えです。これは、文字通り、お金や物を使わずにできる七種類の施しのことを指します。
この「無財の七施」の考え方こそ、災害という非常時において、私たちがどのような心持ちで、どのように他者と関わるべきかを示してくれる、大きなヒントになるのではないでしょうか。
「無財の七施」に学ぶ、私たちにできる支援の形
それでは、「無財の七施」の一つひとつの項目を、災害ボランティアの具体的な活動と結びつけながら見ていきましょう。
- 和顔施:穏やかな笑顔で接する施し 災害に遭われた方々は、計り知れない不安と恐怖の中にいます。そんな時、ボランティアとして関わる私たちが、険しい顔ではなく、穏やかな笑顔で接することができたなら、それは相手の心をどれほど和ませることでしょう。安心感を与える笑顔は、何物にも代えがたい施しとなります。
- 愛語施:思いやりのある言葉をかける施し 「大変でしたね」「お怪我はありませんか」といった、優しい言葉。相手を気遣う思いやりのある言葉は、人の心を温めます。特に、被災された方の話にただ静かに耳を傾ける「傾聴」は、この愛語施の最たるものでしょう。無理に励ますのではなく、ただ寄り添い、受け止める。それだけで、相手は孤独ではないと感じることができます。
- 心施:心を配り、思いやる施し 相手の立場になって物事を考え、心を配ることです。共に悲しみ、復興の兆しが見えれば共に喜ぶ。この「同悲同喜」の心こそが、心施の本質です。被災された方が今、何を必要としているのか、どうして欲しいのかを想像し、心を配る行いは、支援の根幹をなすものです。
- 眼施:優しい眼差しで見守る施し 私たちは、言葉を交わさずとも、眼差しで多くのことを伝えられます。不安そうな顔でいる方に、温かく、優しい眼差しを向ける。それだけで、「あなたのことを見ていますよ、気にかけていますよ」というメッセージが伝わり、相手に安心感を与えることができるのです。
- 身施:自分の身体で奉仕する施し これは、まさに身体を使ったボランティア活動そのものです。瓦礫の撤去や家屋の片付け、物資の運搬など、自らの肉体を使って他者のために尽くす、尊い行いです。自分の持つ力を、誰かのために使う。これぞ身施の実践です。
- 床座施:自分の場所や席を譲る施し 避難所などで、お年寄りや体の不自由な方に場所を譲る。あるいは、長い列に並んでいる際に、体調の悪そうな方に順番を譲る。こうした譲り合いの精神は、困難な状況を皆で乗り越えようとする共同体意識を育みます。
- 房舎施:雨風をしのげる場所を提供する施し これは、自宅や施設などを、雨風をしのぐ場所として提供することです。直接的な避難場所の提供だけでなく、遠方から来たボランティアの方々に、一時的な宿泊場所や休憩場所を提供することも、この房舎施にあたると言えるでしょう。
支援という「利他」の行いが、自分自身を豊かにする
このように見てくると、災害ボランティアとは、まさに「無財の七施」を実践する場であることにお気づきになるかと思います。そして、仏教では、他者のために尽くす「利他」の行いは、巡り巡って自分自身の心の安らぎや学びとなり、自らを豊かにする「自利」に繋がると説きます。
ボランティア活動を通じて、普段の生活では得られないような、人との温かい繋がりを感じたり、「ありがとう」という一言に心の底から救われたりすることがあります。誰かのために、という純粋な思いで起こした行動が、結果として自分自身の人生観をも変えるような、大きな学びに繋がるのです。
まとめ
災害という大きな困難を前に、私たち一人ひとりの力は小さいかもしれません。しかし、無力ではありません。「無財の七施」が示すように、私たちにできる支援の形は、決して一つではないのです。
体力に自信がなくても、専門的な技術がなくても、現地に行けなくても、できることは必ずあります。大切なのは、被災された方々に心を寄せ、自分にできることは何かを考え、一歩を踏み出す勇気です。
その小さな一歩が、誰かの心を温め、明日への希望に繋がるかもしれません。そしてその行いは、きっとあなた自身の心をも、豊かに照らしてくれることでしょう。


