新しいことへ挑戦しようとするとき、私たちの心にはしばしば「もし失敗したらどうしよう」という不安がよぎります。その不安は時に、私たちの一歩を重くし、結局何も行動に移せないまま時間だけが過ぎていく、という状況を生み出しかねません。私自身、日々の生活の中で新しい決断や、これまでとは違うやり方を求められる場面に直面することが多々あります。そんな時、やはり同じように「果たしてこれで良いのだろうか」と、逡巡することもあります。
「失敗」という名の見えない壁
なぜ私たちは、これほどまでに「失敗」を恐れるのでしょうか。失敗は、多くの場合、私たちのプライドを傷つけ、自信を揺るがし、時には周囲からの評価を損ねるものだと感じてしまうからです。特に、真面目な方ほど、完璧であろうと努力するがゆえに、少しのつまずきさえも許せない、という思いが強くなる傾向にあるように感じます。しかし、その「失敗」への過度な恐れこそが、私たちを現状に縛り付け、新しい可能性の扉を閉ざしてしまう、見えない壁となっているのではないでしょうか。
仏教の教え「無常」とは:すべては移り変わるもの
ここで、仏教の根本的な教えの一つである「無常」について、少しお話しさせてください。「無常」とは、この世のすべてのものは常に移り変わり、同じ状態にとどまることはない、という真理を説くものです。私たちの身体も、心も、そして私たちを取り巻く環境も、刻一刻と変化しています。春が過ぎて夏が来るように、若かった身体が年を重ねるように、私たちの意識しないところで、すべては常に変化し続けているのです。
この「無常」の教えは、ともすれば虚無的に聞こえるかもしれません。しかし、私はこの教えの中に、むしろ大きな希望を見出しています。なぜなら、「無常」は、今、どんなに困難な状況にあっても、それは永遠には続かない、ということを教えてくれるからです。そして、新しい一歩を踏み出すことへの恐れもまた、その「無常」の中に位置づけられるものなのです。
失敗もまた「無常」の一部:そこから学び、次へと進む心構え
私たちが恐れる「失敗」もまた、「無常」という大きな流れの一部に過ぎません。何か新しいことに挑戦し、たとえ思い通りの結果が得られなかったとしても、それは決して「終わり」を意味するものではありません。むしろ、その「失敗」を通して、私たちは多くのことを学び、より良い次の一歩へと繋がる貴重な経験を得ることができます。
私はこれまで幾度となく失敗する度に自分の不甲斐なさに深く落ち込みました。しかし、それらの経験があったからこそ、私はそれ以降どんな小さな計画であっても、より綿密な準備と多角的な視点を持つことを大切にしてきました。これまでの「失敗」がなければ、今の私はいなかったでしょう。
大切なのは、「失敗」そのものを否定的に捉えるのではなく、それが変化の一部であり、成長のためのプロセスであると受け入れる心構えです。失敗から得られる教訓は、書物から学ぶ知識よりも、はるかに深く、私たち自身の血となり肉となります。
住職としての私の経験:家族と共に歩む日々の挑戦
お寺での日々の務めも、子どもたちを育てる親としての役割も、常に新しいことの連続です。特に、子供たちが成長するにつれて、それぞれの個性や考え方が明確になり、親としてどう向き合うべきか、常に挑戦の連続です。時には、私の言葉が子どもたちにうまく伝わらず、すれ違いが生じることもあります。そんな時、「もっと良い言い方があったのではないか」「なぜあの時、ああしてあげなかったのか」と、自分自身を責めてしまうこともあります。
しかし、これもまた「失敗」として捉えるのではなく、子どもたちとの関係をより深く理解するための「学び」の機会と捉えるようにしています。大切なのは、そこで立ち止まるのではなく、どうすれば次に良い方向へ進めるのか、前向きに考えることです。家族との対話を通じて、お互いを理解し、支え合うことの大切さを日々実感しています。この小さな挑戦と学びの繰り返しが、私と家族の成長を促し、家族の幸せにも繋がっていると信じています。
「今」を生きる勇気:新しい一歩を踏み出すために
私たちは皆、「今」を生きています。過去の「失敗」に囚われ、未来への不安に怯えるのではなく、「今、この瞬間」に何ができるのかを考えることが重要です。新しい一歩を踏み出すことは、確かに勇気がいることです。しかし、その一歩を踏み出さなければ、私たちは決して新しい景色を見ることはできません。
もしあなたが今、何か新しいことへの挑戦をためらっているとしたら、こう考えてみてください。その一歩が、たとえ小さなものであっても、あなたの人生に新しい風を吹き込み、やがてはあなたの周りの人々、そして社会全体の幸せに繋がるかもしれない、と。誰かの笑顔のために、誰かの助けになるために、あるいは自分自身の成長のために、一歩を踏み出すことは、決して無駄にはなりません。
おわりに:失敗を恐れず、豊かな人生を歩むために
「失敗」は、決して恐れるべきものではありません。それは、私たちの成長を促し、学びの機会を与えてくれる、かけがえのない経験なのです。仏教の「無常」の教えが示すように、人生は常に変化し続けるものです。その変化の波に乗り、前向きに、そしてしなやかに生きることで、私たちはより豊かな人生を歩むことができるでしょう。
もし今、あなたの心が重く感じられているのなら、一度立ち止まり、深く呼吸をしてみてください。そして、心の奥底にある、新しいことへの小さな挑戦の芽を見つけてみませんか。その小さな一歩が、きっとあなたの、そして誰かの幸せに繋がる、大きな変化の始まりとなるはずです。


