私たちの日常は、今や無数の情報で満ちあふれていますね。朝、目を覚ましてスマートフォンを手に取れば、瞬く間に国内外のニュース、友人たちの近況、興味を引く広告が画面を埋め尽くします。それはまるで、絶え間なく寄せては返す大きな波のようです。
この情報の波は、私たちに多くの知識や楽しみ、そして人との繋がりをもたらしてくれる、大変便利なものです。しかしその一方で、その波に翻弄され、知らず知らずのうちに心が疲弊してはいないでしょうか。「また新しい情報を見逃してしまった」「あの人はあんなに輝いているのに、自分は…」そんな風に、心がざわつく瞬間が増えていませんか。
この記事では、情報という大きな海を穏やかに航海していくための、ちょっとしたヒントのようなものをお話しできればと思っております。皆さまと一緒に、心の平穏を保つ道を探る時間となれば幸いです。
なぜ私たちは情報に疲れてしまうのか
そもそも、なぜこれほど多くの情報に触れると、私たちの心は疲れてしまうのでしょうか。
仏教には「求不得苦」という言葉があります。これは「求めても得られない苦しみ」を意味し、人間が本質的に抱える苦しみのひとつとされています。情報を求める心も、これと少し似ているのかもしれません。次から次へと新しい情報を追いかけても、その探求に終わりはありません。一つを知ればまた次が気になり、心が常に満たされない状態、いわば渇きを覚える状態に陥ってしまうのです。
特に、SNSの世界では、他者の生活が断片的に、そして多くの場合、非常に魅力的に映し出されます。きらびやかな食事、楽しそうな旅行、仕事での成功。それらを目にするたびに、無意識のうちに自分の日常と比べてしまい、焦りや嫉妬、劣等感といった感情が生まれることがあります。本来、他人は他人、自分は自分であるはずなのに、情報の断片がその境界線を曖昧にしてしまうのです。
私たちの脳は、こうした情報を常に処理し続けています。まるで、一日中たくさんの人と話し続けているようなもの。それでは、心が休まる暇もありません。たくさんのことを「知る」ことが、必ずしも心の「豊かさ」に繋がるわけではない。まずはその事実に、そっと気づいてあげることが第一歩なのかもしれません。
心の静けさを取り戻す「デジタルデトックス」のすすめ
では、具体的にどうすれば、この情報の波と上手に付き合っていけるのでしょうか。その一つの方法が「デジタルデトックス」です。身体に溜まった毒素を排出するように、心にも情報から離れる時間を作り、休息させてあげるという考え方です。
何も、スマートフォンを解約して山に籠る、などという大げさな話ではありません。日常生活の中で、ほんの少し意識を変えるだけで、心は驚くほど軽くなります。
- 時間を決める
SNSやニュースを見る時間を、1日の中で意識的に区切ってみましょう。例えば「朝の通勤時間と、夜の9時から30分だけ」というように、自分なりのルールを設けるのです。それ以外の時間は、情報の世界からそっと離れてみます。 - 通知をオフにする
スマートフォンの通知機能は便利ですが、私たちの集中を度々中断させます。アプリの通知を思い切って切ってみてください。すると、情報に「反応させられる」のではなく、自分から「情報を取りにいく」という主体的な姿勢に変わっていくはずです。 - スマホを置く場所を決める
物理的な距離も、心の距離に繋がります。例えば、寝室にはスマートフォンを持ち込まない、食事中はテーブルの上に置かない、といった小さなルールが効果的です。家族との会話や、食事そのものの味に集中する時間は、何にも代えがたい豊かさをもたらしてくれます。 - 情報源を絞る
自分が本当に必要としている情報、触れると心が温かくなるような情報源は何か、一度立ち止まって考えてみましょう。そして、少し心がざわつくなと感じるアカウントのフォローを外してみる。これは、人間関係の整理にも似て、自分の心を大切にするための行いです。
坐禅に学ぶ、情報と向き合う心の姿勢
多くの方が、坐禅を「無になる」ための修行だと思われているかもしれませんが、少し違います。坐禅とは、湧き上がってくる様々な考えや感情を無理に消そうとするのではなく、「ただ、今ここに在る」という自分自身の状態を静かに観察することなのです。
心の中には、過去への後悔や未来への不安、様々な雑念が浮かんでは消えていきます。坐禅中は、それらの思考を「ああ、今こんなことを考えているな」と客観的に眺め、深追いせずにそっと手放していきます。まるで、川の流れに木の葉が流れていくのを見送るように。一つの考えに執着しない、その心の姿勢が大切なのです。
この考え方は、スマートフォンから流れてくる情報と向き合う際にも応用できます。タイムラインに流れてくる一つひとつの投稿に、心を大きく揺さぶられる必要はありません。「なるほど、こういう意見もあるのか」「こんな出来事があったのだな」と、少し距離を置いて眺めてみる。すべての情報を深刻に受け止め、判断を下そうとしなくても良いのです。
この「判断しない練習」として、日常生活でできることがあります。例えば、数分間、ただ窓の外を流れる雲を眺めてみる。湯呑みから立ち上る湯気の香りに意識を集中させて、ゆっくりとお茶を一口いただく。そうした、デジタルではない現実の世界に五感を澄ませる時間が、情報と向き合うための心の土台を育ててくれます。
自分だけの「心の庭」を育む
情報から離れる時間を作ると、そこにぽっかりと時間が生まれます。その時間をどう使うか。それは、自分だけの「心の庭」を丁寧に育む時間です。
情報を遮断するだけでなく、心にとって良いもの、滋養となるものを積極的に取り入れていきましょう。それは、ずっと読みたいと思っていた本をゆっくりと読む時間かもしれませんし、近所をのんびりと散歩して、季節の草花の匂いを感じる時間かもしれません。好きな音楽に耳を傾けたり、土に触れて小さな野菜を育ててみたり。
手間と時間をかけて何かに取り組む、という体験も素晴らしいものです。私の場合は、お経を書き写す「写経」の時間が、心を落ち着かせてくれます。一文字一文字に集中していると、日々の喧騒が遠のいていくのを感じます。
皆さまにとっての「心の庭」には、何を植えたいですか。何が咲いたら、心が喜ぶでしょうか。ぜひ、ご自身の内なる声に、静かに耳を澄ませてみてください。
まとめ
私たちは、便利な道具に取り囲まれて生きています。しかし、その道具に心が使われてしまっては本末転倒です。情報過多の時代だからこそ、私たちは意識的に自分の心を守り、育んでいく必要があるのでしょう。
難しく考える必要はありません。まずは今夜、寝る前の30分だけスマートフォンを置いてみる。そんな小さな一歩から、始めてみませんか。皆さまの日々が、少しでも穏やかで、心豊かなものとなりますよう、心よりお祈り申し上げます。


